未来人#3 若者自立支援団体 ONE STEP代表「笠間淳さん」若者の才能を見出し、育てる世の中へ。(2/3)

どうも寛治(@kanjicuu)です〜。

面白い人たちを取材して、紹介する。

未来人

若者自立支援団体 ONE STEP代表 笠間淳さんです!

前編を見ていない方はこちらから→前編

 

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起業したものの、社会の大学生への風当たりは強い

淳さん「服が好きだったから、古着屋でもやろう!って思って、最初の半年間は古着屋で働いて。

お金も溜まって、まずは何していいか分からなくて、まずは商工会議所に行って情報を集めようと思ったの。

ところが、相談しにいったら、「大学生でしょ?遊び半分でやれるようなことじゃないから勉強してな」って言われて全く折り合ってくれない。

何回も行ってもダメで、誰も協力的じゃないし、何も教えてくれないし、だんだんむかついてきて。

しょうがないから、知り合いの経営者さんたちにいろいろ聞いて、許可とって、開業届税務署に出して、あとは場所が見つからなくて。

大学内はダメで、普通に土地借りるとすごいお金かかるから、駐車場借りてそこでやろう!と思ったんだよね。

不動産屋行ったら、「できるわけないよ」って。でもここ逃すと起業できなから、お願いします!っていうのを二週間プレゼンし続けたら、熱意はわかったと。10、11、12月の3ヶ月限定で貸してくれることになっの。

やることが決まった瞬間に友達から古着を買い集めて、木材買ってきて、お店作って。」

 

朝日新聞が取材にきてくれた

 

淳さん「オープン初日に朝日新聞が取材に来てくれて。

「岐阜大学の笠間淳さんが、青空古着屋を開催。地域の若者を盛り上げようという思いから、若者を活性化する取り組みをされています。」という記事を紹介してくれたの。

そうしたら、大学生や地域の方々が来てくれて、思いを説明したら、「最高だね!」とか、「僕も何かやります!」っていろんな人が聞きに来てくれて、話ができた結果、やりたいことできたな!っていう実感ができたんだよね。

人の心に火を灯すことができたと。」

寛治「社長の言葉を実現できたわけですね。」

淳さん「でも、思いが達成させた一歩で、わだかまりがあって。

商工会議所行った時に、話すらしてくれなかった、これダメだろうっていう思いがすごい込み上げてきて、

「チャレンジしようとしても、チャレンジできない。」っていう風土をなくしたいって思いが出てきたんだよね。人の心に火をつけてもやる気になった人がやれなかったら意味がないからね。

そもそも、受け入れ先の風土、環境を作らないといけない。そこを変えようと思ったの、人生を使って。

色々考えた結果、教育が問題あるんじゃないかっていう結論になったのね。

変えないといけないのは、制度と現場の二つ。

制度変えるには、どうしなきゃいけないかっていうと、どうやら東大出ないといけないらしくて。これは今からは遅いと。

じゃあ俺は現場を変えようって思ったの。

人の心に火をつけて、チャレンジする人たちを増やした結果、チャレンジできる環境を作りたいと。

じゃあ、何でチャレンジできないのかっていう根本の部分がどこかっていったら、教育だったの。じゃあ、教育を変えよう、と。

人の心に火をつけて、教育変えたら最高や!っていう、スタートとゴールが決まったの。

じゃあ、その間どうしようかってずっと考えたの。そしたらニュースでホリエモンが逮捕されたの。インサイダーで。なるほどな~ってみてたら、二日後にホリエモンがモヒカンにしたのがニュースになってて。

なんで、それがニュースになっとんねん!と。さらに5日後、ヌード写真集発売。それもニュースになったの。

ニュースになるってことは多くの人が目にしてるって事。なんで、ホリエモンは、モヒカンにするとか、ヌードになるっていうのがニュースになってるんだろ?って考えた結果、世の中に貢献してるから注目度が高い、世の中に貢献してる人の発言って良くも悪くもみんな反応するんだよ。

ということは、注目される人なら世の中を変えることが出来るんじゃないかなって思ったわけ。でも、ホリエモンが一人で言っても変わらない。だから、そういう人たちを100人作って、その人たちにやってもらおうと思ったの。

社会起業家っていう世の中のために仕事をして活躍する人を100人作って俺の夢をたくそう!って決めたんだよね。

 

でも実績ない人が人を育てれるかっていったら育てれないから、まずはおれ自身が社会起業家にならなきゃってすごい考えたのね。

すごい教育に関して関心があったから、教育関係で起業して、自分の実績となるものを一個残そうと。それをもって、いろんな人たちを輩出できるような仕組みを作っていこう!って大学四年のときに考えて。一旦就職することにしたの。

いきなり起業してもうまくいかないと思ったから、まずは3年社会に出て働いてみようと。」

 

世の中を知るために某予備校に就職

淳さん「どうせなら教育業界で一番トップにいる企業にいきたいと思って、某予備校に行くことを決めたの。

そこだけ一社受けたら運よく受かって。三年間最短コースで出世しようって決めて入ったんだよね。

そうしたら、本当に最短コースの出世にのせてもらって、二年目で150人規模の校舎を任されて、自分で校舎を運営することをなったんだよね。」

内申11の不登校の女の子との出会い。

淳さん「そしたら、内申11の中学校一年生の女の子が入塾テストを受けにきたの。

さなるに入るには、入塾テストを受からないといけないんだけど、テストは悲惨な結果で。お母さんに「受かりませんでした」という話をしたら、「実はこの子、不登校なんです。でも、勉強をなんとかしてあげたいと思ってさなるさんに来ました。」っていう話を聞いて。

ここで俺が断ったら、この子行くとこないじゃん。なんとかしたい。 って思って、教室長権限を使って、入塾させたの。本当はやっちゃだめだけど。

そしたら、その子、学校は行かないけど、毎週さなるは来るんだよね。「なんで、さなるは来るのに、学校は行かないの?」って聞いたら、「さなるの先生がみんな好き。学校の先生は嫌い。」って言ってて。

二ヶ月、三ヶ月経って、ちょうど二年生にあがるときに、泣きながら職員室に入ってきて、「私このままじゃだめだって分かってます。変わりたい。でも、どうやったらいいか分かりません。」って。

なんとかしないといけない、でも塾の先生だから、私生活に介入できないんだよ。

だから、「ここに来てる間は、おれがいろんなことを教える。変わるか変わらないかはお前次第だ。本当に変わりたいならいろんな方法を教えるからやりなさい。その代わり、信じてできたらいい思いできるよ。」って言ったら、「はい!分かりました!」って言うの。

「じゃあ、二年から学校行きなさい。学校生活が良くなるようにおれの持ってる知識を全部伝えるから。」って言って、内申点の取り方、テストの点数の取り方、友達と仲良くする方法・・・いろんなことを全部教えたの。ちょっとずつちょっとずつ。

 

偏差値70を超える。そして、日本一の公立高校への受験

もちろん塾にも来て勉強も教えるし、やり方も教えるしっていうのをずっっとやってたら、中3の二学期内申が38になったの。」

寛治「すごい・・・」

淳さん「偏差値65。さなるの偏差値65って一般でいうと70ちょっと。

これは、もしかしたら、日本で一番の公立高校、岡崎高校にいけるんじゃないかって、岡崎高校受けたら?って。

「内申11だった女の子が、日本一の公立高校にチャレンジできるとこまで来たんだと。やることに意味あると思うよ。受かる受からん関係なく、挑戦してみろ。それだけで人生変わるぞ。」と。

でも、学校の先生は内申44とか45じゃないと受けさせてくれないんだよね。だから、お母さん呼んで、「岡崎高校に受かるかどうか別にして、受けてほしいです。この子がここまで頑張った結果をチャレンジするっていう形で残してあげたいんです。」っていう話をしたら、お母さんも、「是非受けさせてあげたいです。」と。

「お母さん、学校の先生は絶対に反対しますが、絶対に譲らないでください。」って伝えて。

そしたら、ほんとに二人揃って、岡崎高校以外受けませんって言ったみたいで。

 

でも、昨年のボーダーラインみたら、当日97点とらないと合格できないことが分かったんだよね。その子は折れずに、受験に挑んだの。「行ってこい!」って当日の朝送り出して。

でも、泣きながら帰って来たの。

「自己採点95点でした。」って。「いや、95点ってやばいよ!それで泣けるっておまえすごいな。成長したね。 でも、当日の自己採点なんて心が平常じゃないから、心が平常じゃなくて間違ってる可能性あるから、当日楽しみに待っとけ。」と。」

結果発表当日

 

淳さん「一緒に結果発表見に行って。掲示板の前に立ってたんだけど、全然来ないんだよね。みんないなくなってから見たいって。 分かった、俺も一緒に待つわって言って。

みんないなくなってからバーっと見に行って。

番号見てたら、隣で泣き崩れたの。

「やばい、落ちたかな」って思って。

そうしたら、「あった・・・私の受験番号あった!!!」

 

 

もうその瞬間に、世の中のすべての事象は、みんな表に見える事だけを見てるけど、それがすべてじゃないんだなと。この子不登校だったのに、岡崎高校受かったわけだよ。この子学校行けてなかったわけだよ、学校からするとだめな子ってされてたわけ。でも、日本一の公立受かってるんだよ。才能の塊なわけですよ。

世の中、こんな子一杯いるんじゃないのって。

不登校とか、引きこもりの子とかそういう子達って、自分たちの才能をちゃんと本当に分かってくれない大人のいる環境にしかないから。自分たちの才能が埋もれちゃってて、どうしようもなくて引きこもっちゃってるんだろなって感じたの。

だから、この子達のに対してなんかやりたいなって。

だから、塾やろうって決めたの。人生を教える塾をやろうって。

子ども達や中高生に、学校の勉強だけでは分からないことを一杯伝えるような何かしたいなって。」

 

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お花見で運命の出会い 佐久島へ

淳さん「塾やろうって決めて、さなるもずっと勤めて。

そのころ、あるイベントで花見に行ったの。その花見に面白いやつがいてて。

そいつが、「佐久島っていう島でひきこもりの子たちの支援をしようと思ってるんだ。」っていうやつがいて。

そのとき、ひきこもりっていうワードに敏感になってたから、何々ってすごい聞いて。

「佐久島っていうすごいのどかないい環境があって、普段の家の中とは全然違う環境で触れ合うと社会復帰できるんじゃないか」って。「あと、こういう過疎の地域だから若者の力を求められてる。だから、そういう子たちが必要とされる環境でもある。 絶対にどっちにとってもいいから、そういう事業をやろうって考えてるんだ。」

「よかったら手伝ってよ。」って言われて、もうこれしかないなって。

半年後にさなるをやめて、今みたいな形で、佐久島でお店を経営しながら、引きこもりの支援もしようってはじまったのが2015年の4月。」

 

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