遠山寛治のカジュアルな自己紹介

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遠山寛治の簡単な紹介

サックス奏者 兼 名古屋大学4年生 遠山寛治

中学校から始めたサックスで演奏活動をし、そして大学では工学部に所属し、音とインタラクションについて研究しています。

今年の9月から、ドイツのミュンヘン工科大学に留学します。

 

コンクールなどの音楽経歴はこちらから→真面目な音楽経歴

 

以下、生まれてからの経歴でございます。

生い立ち

1994年 広島生まれ、愛知育ち。
毎年何回か毋方の実家である広島に帰りますが、必ず食べる「広島焼き」。そして、じいちゃんが作るあんこ餅と、ばあちゃんが作るおはぎ。自分の2割はこれらでできてます。

小さい頃は、兄と従兄弟たちと、なんとかごっこをしてずっと遊んでたのをよく覚えています。

 

 

小学生時代 サッカーと怪我とサックスとの出会い

地元刈谷市の小学校に入学。

幼稚園の頃にもサッカークラブに入っていていましたが、卒業とともにやめました。

しかし、2002年の日韓W杯でGK楢崎選手に憧れてサッカー熱がふつふつと湧いてきました。そして、地元のサッカークラブに入り、小4になると部活も始まり、サッカー部に入ります。

 

 

あ、その頃は空前のお笑いブーム。母もお笑いが大好きでよくテレビで見たり、ライブに行ったりしました。

一番のお気に入りは、「レギュラー」と「ヒロシ」。

レギュラーに関しては、友達とよくネタをやっていました。「デュビデュ・デュビデュバ
ハイ・ハイ・ハイハイハイ!!」ってやつですね〜懐かしい(笑)

 

怪我、治っては、また怪我

サッカーにはまってからは、自宅の目の前にある公園でよくサッカーボールを蹴ってました。ポジションは、GKからFWまで一通りやったんですが、最終的にはMFに落ち着いて、ボランチをよくやっていました。小野伸二選手が大好きでした。

 

公園でよく個人練していたからか、キック力は相当あって、コーナーキック、フリーキックはよく蹴っていました。チームでもレギュラーとして試合に出てました。

しかし、、、小5の秋ぐらいに練習中に「グキっ…!」

右足首を捻挫します。結構重度で全治一ヶ月ほど。

治ったー!と思ったら、また捻挫。 何回か繰り返して、当然練習はできなくなり、レギュラーからも落ちていきました。

 

多分向いていなかったんでしょうね〜。体が相当硬かった。今思えば、怪我してよかった!って思いますが(笑)、当時の自分にとっては結構辛かったのを覚えています。

 

サックスとの出会い

サッカー熱も次第に冷めてきた頃、4つ上の兄のコンクールに行くことになりました。兄は吹奏楽部でサックスを吹いていました。

普段、家では普通にしている兄がコンクールでキラキラしてました。曲は「To the Summit」

冒頭2分のサックスソロ。完全に惹きつけられ、サックスやってみたい!ってなりました。中学校では、吹奏楽部でサックスをやろう!って決意した時でございます。こればっかりは、本当に兄に感謝でございます。

それから、サックスのCDを聴きまくってました。憧れは、「須川展也さん」 クラシックサックスの巨匠です。
たくさんの曲の中でも、カーペンターズの「青春の輝き」のカバーは、もう数え切れないほど聞いていました。

 

そしてそして、我が家のアイドル、ボーダーコリーのクレバー君が来たのもこの頃。

うちの家族はもうこの子なしでは生きていけません。笑 完全なる親バカです。

 

 

中学時代 ひたすら、ただひたすらサックスを

地元の中学校に入学。

そして、吹奏楽部に入部。(実はちょっと運動部も迷ってました、、体力テストの結果がクラスで3番くらいだったこともあり運動部へのオファーがありまして、、、プチ自慢です(‘.’))

 

吹奏楽部なめてました。笑

ずっとサッカーやってたし、余裕でしょって思ってたら、きついきつい。笑 吹奏楽部大変だよって聞いてたけど、予想をはるか斜め上に超えてきました。

朝練、放課後練はもちろん、土日もほぼ毎週一日中練習。

ちなみに、部訓は「謙虚に」。 今でも一番大事にしている言葉です。

 

もっと上手くなりたいからプロに教わることに

中学2年のある時、市内の中学校と合同練習する機会がありまして、そこで会った一個上のサックスの人がめちゃくちゃ上手くて。

「どうしたら、そんなんになるんですか?」って聞いたら、どうやら名古屋まで行ってプロに習っているらしい。

自分ももっと上手くなりたかったし、これは自分もやらないとどうもならないって中学生ながら実感しました。

そして、親に名古屋に行ってプロから習いたい!頼んだら、、、

 

 

許可頂きました…! 本当に感謝ですm(__)m

 

中学2年の秋から、名古屋の植村楽器にて、小森伸二先生に月二回習うことに。

 

もう毎回勉強の日々。今まで疑問に思ってたこととか、こういう風に吹くのか!っていうのが次々解決していって、頭の中に入って来ます。自分でも成長がわかるぐらいぐんぐん上手くなっていったのが実感できました。

 

ソロコンクールに挑戦

吹奏楽界は、冬はアンサンブルとソロコンクールの嵐。

 

中学二年の冬と春、ソロに関しては、出場したコンクールは3つ。

・安城学園主催のコンクール
・中部日本吹奏楽連盟第個人重奏コンテスト本大会
・日本ジュニア管打楽器コンクール

初めてのソロコンクール

入念な練習をし、望んだ最初のソロコンクールは、12月末に、安城学園という高校の吹奏楽の強豪校主催のコンクール。

緊張しながらも、なんとか演奏を終え、結果待ち。

結果は、、、

 

金賞並びに最優秀賞・・・!

よく実感は湧きませんでしたが、一番とったみたいです。アンサンブルも金賞を頂くことができました。

 

一番思いがあったコンクール(前編)

最初のコンクールが終わり、すぐに次のコンクール。

中部日本吹奏楽連盟第個人重奏コンテスト本大会。

これは、東海地方、北陸地方9県のすべての吹奏楽部の人が出れるコンクールで、中部地方で一番大きいコンクールです。ソロコンクールは各中学校の中の実力者が出で、参加者は述べ数千人です。

地区大会→県大会→本大会

となっており、目標は本大会に出場すること。

というのも、今までの先輩方は、県大会まではいったことがあったのですが、楽器が壊れたり、体調不良などでなぜか本大会まで進んだ方がいなくて。自分が絶対に行ってやる!ってずっと思っていました。

 

一月、望んだ地区大会。

結構ミスが目立ち、終わった後には落ち込んでいました・・・。

結果は、、

 

2位通過。

 

県大会にコマを進めることができたのですが、上に一人いました。隣のライバル中学校のホルンの同い年の男の子。ここで負けず嫌いな自分に火がつきました。

 

 

日本最高峰のコンクールへ

日本ジュニア管打楽器コンクール。おそらく中学生が出れるコンクールでは、国内最高峰のコンクール。

一次審査はテープ審査であり、それに抜けると東京での最終審査に進みます。

駄目元で出してみたところ、、

一次審査通過。東京行きが決定しました。

 

出場者には同世代で有名だった人もいて、周りの人からしっかり吸収してやろう!、自分は失うものは何もないから、精一杯やりきろう!そんな意気込みでした。

先生の指導も一層熱が入り、悔しくて泣いた時も、思いが通じて泣いた時も。

(この時吹きすぎて、口の中が切れて刺激物は食べられなくなりました笑 今でも辛いのが全く食べられないのはこの影響です。笑)

 

みっちり練習をして、いざ東京へ。

東京ドームなどに圧倒されながらも、楽しみながら本番に臨みました。

 

望んだ本番は、とっても楽しくて今まで一番の演奏ができました。

他の出演者の演奏も全部聞いて、トップクラスの同世代のレベルを実感してました。

 

 

そして、結果発表。

・・・金賞 遠山寛治。

 

今でもただ偶然だったと思っていますが、金賞(1位)を頂くこととなりました。先生が一番喜んでいましたね。

これは自分の力では決してなくて、先生や伴奏をしてくれた同期、ご指導くださった講師の方、吹奏楽部の皆、そして親のおかげだと思っています。

 

一番思いがあったコンクール(後編)

そして、管打楽器コンクールの後、すぐに中部日本のコンテスト県大会。

自信もつき、本番の勝手も掴んできたのでいい意味で慣れてきました。

 

県大会は、1位通過。

一番出たかった本大会にコマを進めることができました。

そして、滋賀県で行われた本大会でも

金賞ならびに最優秀賞をいただくことができました。

 

 

人生の根幹になった雁が音中学校吹奏楽部

ソロ以外にも、合奏のこともかくとキリがないですが・・・間違いなくこの吹奏楽部での経験は人生の根幹になりました。

本当にサックスに出会えてよかった。

 

高校時代 進学校での自由と苦悩

 

部活は3月で引退し、4月から、地元の進学校 刈谷高校に進学します。

自分は推薦で入ったので(一般だとおそらく相当厳しかった)、みんな頭良くてすごいんだろな~って思ってたらその通りでした。笑

入学直後に受けた試験は、360人中320位。(一般320人、推薦40人だったので極めて妥当な順位です。)

勉強も頑張らんとな~って思ってはじめに望んだ定期試験は200位くらいでした。

 

部活は吹奏楽部に入ります。

 

サッカー熱がぶり返してくる

実は、高校入学前から気になって気になってしょうがなかったゲームがあったんです。

「FIFA10」

三月に部活が終わって時間ができたので、これが気になってて。めっちゃやってました。

狂ったようにオンライン対戦をして、着々と実力をつけ、6月ころにはオンラインランキング90位くらいまで上り詰めました。勝率は80%弱くらいで相当高かったと思われます。笑

7月ごろ、これはやり続けると高校時代終わるのが見えたので、親に頼んで隠してもらいました。

 

このゲームのお陰で、サッカーにものすごく詳しくなります。主要リーグの選手の名前、国籍、年齢、何利きか(シュート打つときにとても大事なんです)、どういう特徴の選手か軽く1000を超える選手を自然にインプットしました。

この知識が大学生になってとても役立ちます。

 

勉強に火が入る。東大を目指す。

ゲームも無事生活の中から消え、部活でサックスと勉強をする日々でした。

転機が訪れたのは、一年の秋ごろ。

当時付き合っていた彼女がいて、東大を目指していたんです。
自分にはさすがに無理だわ~って思ってたんですけど、あまりに東大東大って言うもので自分も東大目指さないといけないって思ってきて。(結構影響されやすい)

でも、いまの順位では到底無理なわけで。思い切って当時の担任の先生に「東大行きたいんですど、自分行けますかね?」って聞いたら、
「全然いける。今の寛治の順位から東大行った先輩は山ほどいる。」って背中を押してくれて。

この言葉で本気で東大を目指し始めます。

 

自分才能ないかも・・・?苦しかった一年二学期

東大を目指すことになってから、いろいろ自分で調べたり、先生に聞いたりしました。

とりあえず、毎回に定期試験に向けて着実に勉強することが一番の近道だ!という結論になり、狂ったように勉強し始めます。

朝サックス吹いていた時間も、放課に友達と話していた時間も勉強してました。友達から心配されたこともありました笑

今までで最高の準備をして望んだ、二学期の期末試験。

 

結果は、順位落ちました。210位くらい。

これはさすがに落ち込みました。自分勉強の才能ないんだな~って。サックスでは練習したら練習しただけうまくなれたのに。なんでか原因も分からず。

 

このとき、たまたま読んだ本でこんな言葉があって。

「勉強の芽が出るのは、6ヵ月後」

まだ1、2ヶ月しか経ってないですから、これを素直に信じて次の学年末テストまでやろうと決めました。

 

そして、学年末テスト。

 

順位は、50位まで上昇!

諦めないでよかったです。やり続けるのが大事というのを身にしみて感じました。

 

吹奏楽部での楽しい日々

自分の高校は非常に自主性を大事にしていて、学生に対してかなりの自由度が与えられます。

吹奏楽部も例外ではなく、自由にやりたいようにやっていました。

アンサンブルを同期と組んだりして、相当練習してました。あと一歩で東海大会出場までいきました。

サッカー同好会も作り、中庭でよくサッカーをしていました。

 

(おまけ)じわじわ癖になるmy characterの誕生

 

高校時代にうみだしてから書き続けています。この子が世界に羽ばたく日を心待ちにしています。

友達のノート、机にも書きまくってました。たまに友達から、当時のノートから発見された我が子の写真が送られてきます。

 

大学受験。センターの関門

高校三年の冬。学内順位も30位以内ほどに落ち着いていました。

 

センター試験の上でひとつ自分に課していた決まりがあって、

「三大予備校が出す足切り予想に一つでも引っかかったらやめる。」

センターのスコアは、、ちょっど足切り予想に挟まれました。

相当悩みましたが、ルールに従うことに。(蓋を開けてみれば実際の足切りは全然下でしたがしょうがないです)

 

受験校を名古屋大学にし、無事合格。

東京の私大も合格しましたが、大学生になったら音楽活動をしたいと思っていて。東京に行くのではなく、名古屋に残ったほうがいいと感じでいて。

大学生になって一緒に音楽活動しようと思っていた同期達がみんな名古屋に残っていました。

 

 

大学生 サックスと海外

大学生入学時に漠然とした目標が二つ。

「サックス奏者として活躍すること」

「海外で通用する人になること」

 

海外留学 ケンブリッジへ

大学一年の夏休み、憧れの海外留学へ。

場所はイギリスのケンブリッジ。語学学校に行くことに。

全然英語は喋れなくていったらなんとかなると思ってましたが、想像以上に喋れない・・・。

しかし、ここでサッカーゲームで得た膨大な知識が大いに役立ちます。

欧米出身の人たちに出身都市を聞いて、そこがサッカーで有名な地であると知ってる選手を即座に答える、しかもできるだけマニアックな選手。

今でもサッカー通の外国人とは抜群のコミュ力を誇ります。

サッカーの聖地「ウェンブリー・スタジアム」では興奮しすぎて、現地の子どもたちに白い目で見られたのをよく覚えています。笑

楽しかったですが、英語力のなさを痛感。最後の方は、下ネタ大好きな香港人のジェームズとずっと一緒にいました。

 

コンクールに挑戦・・・唯一の非音大生・・・

大学2年の夏に大学生になって初めてコンクールに出場しました。

中学校ぶりのソロコンクール。自分も気合が入っていて、半年前から1日5−6時間、本番前には10時間ほど練習して望みました。

 

結果は、一次で落選。。

相当悔しかったですが、客観的に見て当然の結果だったかなと。

 

これでは諦めきれないので、この年の冬に二つコンクールに挑戦しました。

前回のコンクールを反省してみると、練習の際、自分の演奏と他人の演奏を比べ過ぎ、自分と向き合うことを疎かにしていると
考えて、自分と向き合ってイメージに近づけていきました。
その結果、その後出場した国際コンクールを含む2つのコンクールでは、どちらとも本選に出場することができました。

片方のコンクールでは、自分以外みんな音大生でした。

 

人生を変えたタイ研修

大学二年の終わりに大学の研修プログラムの一環として、タイのバンコクにあるチュラロンコン大学に行きました。タイの東大と言われるくらいタイの中で一番の大学です。

これはとてつもなく楽しかった。
初日から警察のお世話になる(悪いことはしてません)、ホテルにアリが大量発生するなど、ハプニングはつきませんでしたが、タイの魅了にすっかり取り憑かれました。

 

 

 

海外の楽しさも存分に感じましたが、一番感じたのは、タイの大学生の同世代の凄さ。

年齢もほぼ同じで、タイ語、英語、日本語、さらには中国語まで使いこなす猛者も。

あ、これヤベーなって痛感。最低限英語話せないと世界に出たら土俵にすら立てないって肌で感じました。

(後ろのお兄さんの温かい眼差しにご注目ください)

英語の勉強と長期留学を決意。

 

演奏活動がしたくてしたくて・・・

大学に入ってから、音大生の音楽仲間とライブや演奏をしたり、所属していた名古屋大学ジャズ研究会でよく演奏をしていました。部長もちゃっかりやってました。

しかし、もの足りない・・・!

大学3年も終わりの頃。
自分の思ってたんのと違う!ということで、演奏の場を自分で取ってくることを決意。

まずは、介護施設にメールをし、演奏させてくれそうなレストランにメールをし・・・

そしたら、演奏をたまたま聞いて声をかけてくださった素敵な音楽教室の先生に演奏会のゲストとして呼んでいただけることになったり。

イオンで演奏させていただけたり。

小学校で演奏させていただけたり。

千葉県にてコンサートさせていただいたり。

合唱団の皆様の演奏会に出させていただいたり、様々なイベントに出演させていただきました。

自分で動いたら、チャンスがどんどんやってきてそれを全力で掴む楽しさに気づいてしまいました。

 

自分でもいくつか大きな演奏会を主催しました。

ブログで発信すると巡り巡って人生面白くなると確信したので、始めます。

 

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現在の自分・・・大学院、ドイツへ

演奏活動をしながら、大学では音とインタラクションを研究。

来年からは大学院に進学し、ドイツに一年間留学します。

 

 

お疲れ様でした・・・!

 

 

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