未来人#4 No.1の野菜 クレソンを新しい栽培で Smart Farm代表「松本 國昭さん」2/3

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どうも寛治(@kanjicuu)です〜。

面白い人たちを取材して、紹介する。

未来人

四人目は Smart Farm代表 松本 國昭さんです!

前編を見ていない方は、こちらからどうぞ。

 

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最高品質の「清流クレソン」ができるまで道のり。

必須栄養素No1野菜クレソンの栽培販売農園 Smart Farm 代表の松本國昭さん。

この経緯に迫ります。

テレビ局を退職してから、農業の世界へ

寛治「それでは、インタビューよろしくお願いします!簡単に自己紹介をよろしくお願いします!」

松本さん「よろしくお願いしますね。

61歳で退職したんですが、それまではメーテレの制作局の局長を勤めていて、子供向けの番組から、ワイドショー、ドラマ、バラエティーとあらゆる番組を作っていました。

退職してからは、「半農半メディア」的なことをやりたかったんです。」

寛治「半農半メディアですか?」

松本さん「農業が非常に弱いと言うことを言われてたのね。高齢化というのが進んで、平均年齢が67,8歳くらいなんだよね。

だから、自分はまだ若い方だよね。

それだけ高齢化が進んでいる農業をなんとかしてあげたいという、ある種メディア側からのアプローチで、「半農半メディア」的なことができないかなぁと思い、やり始めたんですよ。

ただ、農業は素人だからいろんなことに手を出しちゃうと負けちゃうなと思ったので、一点集中ということでクレソンを選んです。」

寛治「どうしてクレソンを選ばれたんですか?」

松本さん「栄養価が高いっていうことは分かってたんだけど、まだまだ認知度が低いとてもマイナーな野菜だったから、それをもう少しアピールできたらいいなと思って。これだったら身を捧げて取り組める野菜だなと思い始めました。」

寛治「クレソンを選ばれるってなかなか聞かないんじゃないですか?」

松本さん「それだけ作ってる人が少ないんだよね。」

 

水流栽培との出会い

松本さん「綺麗な水があるところにどう構築するかがポイントになってくるんだよね。

一年半前に吉田さんと出会う前は、田んぼに水を引いてやっていて、そこそこできるんだけど、虫がいたり雑菌がいたりして。タニシがクレソンを食べたり、カモが夜のうちに飛来して食べたり。」

吉田さんは、クレソンを栽培している農場の持ち主で、野菜くずで作った新しい肥料を開発された方です。

松本さん「いろんな問題があるんだよね。

吉田さんは、田んぼで泥だらけになりながら栽培しているのを「いやだな~」と思って見ていたようで。

もう少し管理栽培が出来ないかなっと思っていたら、吉田さんが川の流れを作ってくれた。」

寛治「それがまさしく現在の栽培方法の始まりですね。」

松本さん「そう。我々は水流栽培ってよんでるんだけど。

水耕栽培でもなく、農耕栽培でもなく、露地栽培でもない、その中間をいくような栽培方法。

これを一年半やってやり方としてほぼやり方として確立されつつある感じだね。」

 

今の栽培方法にたどり着くまでは、試行錯誤の連続

寛治「田んぼでの栽培はどのくらいの期間やられていたんですか?」

松本さん「田んぼは二年間だね。その後も安定的に作れなかったので、試行錯誤して。管理栽培をなんとかできないものかと考えていたら、吉田さんが協力してくれたんだよね。」

 

吉田さんのすごさ

寛治「吉田さんが作っておられる「野菜くずから作った肥料」はどうすごいんでしょうか?農業に関して知見が全然ないもので・・・」

松本さん「土を使わない方法なので、革命だよね。

だいたい農業って土作りからっていうでしょ?そのために土のたい肥をいれたり、豚糞を入れたり、牛糞をいれたり。

いろんなことをしながら格闘をしているんだけど、吉田さんの場合は、そもそも草取りが大嫌いで、草が生えないように全部の草の菌を殺しちゃってるわけ。たい肥作りの過程でね。」

寛治「そんなことできるんですね。たい肥のおかげで草が生えないんですね。」

松本さん「あとは、糖度が高かったり、作物が綺麗に育ったり。僕はそのことを前から知って、一緒にクレソンを作りませんか?ということで頼んだんだよね。

思った以上にうまくいかなくて、この1年間ぐらい試行錯誤しながら、二人で水流方式の農法を考え出して、確立したと。」

寛治「他の栽培とはやはり違うんですね?」

松本さん「冬場に葉野菜ってできないんだけど、これだけいっぱいのクレソンがハウスいっぱいにあるっていうのは、なかなかないと思うよ。」

松本さん「クレソンは、寒さでどんどんやられちゃうから、今までのやり方をしてたらこんな風にはなってないね。」

 

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松本さんの過去

寛治「昔の話になるんですが、新卒でテレビ局に入られたんですか?」

松本さん「教育学部だったので、学校の先生になるかとも思ったんだけど。当時は学園闘争で学校が荒れてた時で。常にヘルメット被った学生が占拠したり、学長を封鎖したり。」

寛治「そんなことあったんですね・・・!名大がですか?」

松本さん「そうそう。いろいろ荒れてたよ。いくつかセクトがあって、そこで対立があったり。大学行かずに学生運動やってる子も多くて。

自分の中で、教育を教えるという教師になることに疑問を持って、先生になるのも諦めて他の道を探して、マスコミを選んだんだよね。」

 

なんでマスコミなのか?

松本さん「なんで、マスコミなのかっていうのは、あんまり理由がなくて、一番最初に受けたのがテレビ局で内定が出るのが早かったからそこにお世話になることにしたんだよね。」

寛治「そこからどう局長まで上り詰めたんですか・・・!」

 

ミスをたくさんしていたら、転機が

松本さん「最初は、テレビ局で何をやったかというと給料計算だったんだよね。やだな〜って思ってて。当時はそろばんで人の給料を計算をしていて、全然あわないんですよ。計算とかは苦手で。

ある部署の縦と横がきちんとあってないといけないんだけど、毎回10円20円ずれちゃうんだよね。今はexcelがあるから簡単だけど。

「あ、俺これは合わないな〜って」思ってね。

よく間違っていたので、向いてないって思われて、待望の制作局へ入れたんだよね。半年で。」

寛治「すごい幸運ですね。」

松本さん「それからはずっと制作局で。本来は、数年で変わることになってて、営業部行ったり企画部行ったり。

僕は幸いにしてずっと一つ、制作局に居たんだよね。」

 

修行の20代、番組を立ち上げた30代

松本さん「一般的には、最初の10年間はアシスタントディレクター、30代から自分の番組を作れるようなって番組作りを自分の企画でやるようになると。」

寛治「松本さんのそのルートだったんですか?」

松本さん「そうだね。20代の頃は、東京のテレビ局で修行をしたり、自分なりの企画を出してやってみたんだけど、失敗して。初めは大体失敗しちゃうんだよね。

「これで松本は終わったな」という人もいたりして。」

寛治「厳しい世界なんですね・・・。」

松本さん「2回目、3回目は、なんとか成功して挽回できてなんとか残っていけて。

通常は、ディレクターの上にプロデューサーがいて番組を企画するんだけど、自分がプロデュースして自分で演出するってていう深夜番組「オジャマンないと」っていう番組を立ち上げたんですよ。」

(懐かしい方も多いのでは・・・!)

 

 

 

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